メモ

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戦闘備忘録

 ーーー人はそれを弁当戦争と呼ぶ。

 

 

目次

一章:白作戦

二章:弁当戦争

三章:神

 

 

一章、白作戦

 

 時は20XX年。初雪を観測するような日の事。私はとあるスーパーに夜食を買いに来ていた。5分も外にいれば手先がかじかむ寒空の中スーパーを目指したのは家に食材が無く、空腹で夜中眠れないことが想定されたためである。私はお腹がすくと夜泣きするタイプの人間である。普段私は自炊か外食なので、弁当を買って家で食べるなんて事は稀であった。そうしてる内にスーパーの弁当コーナーにたどり着く。すると、ある考えが頭をよぎった。

「このスーパーの閉店時間まであと30分やし、半額シール貼られるまで待った方がええんちゃうか」

と。

 そこで私は白作戦を決行する。店員にバレないよう店内をうろつき、半額シールが貼られるまでシラを切り通す作戦である。作戦は成功したかのように思えた。この後、私は私の知らない世界を知ることになる。

 

 

 

二章、弁当戦争

 

 

 白作戦を決行中、ある異変に気付く。弁当コーナーに人だかりができているのである。そう、白作戦を遂行していたのは私だけではなかったのだ。人だかりはまさに店員を今か今かと待ち構えているのである。その様相はまさに池の口をパクパクさせている鯉のようである。

「しまった、出遅れたか…」

 スーパーの客全体が敵だったことを痛感する。私は持ち前の瞬発力を生かし、人だかりをかきわけ最前列を確保する。私はほんの軽い気持ちだった。

 「同じ中身の弁当を500円と250円で売っていたとして買うとしたら?」

この問いに対して、人は普通250円の方を選ぶだろう。それもそのはず。わざわざ高額を払うなんて馬鹿馬鹿しいのである。

 しかしこの時の私の感情はまた違うベクトルの馬鹿馬鹿しさを感じていた。

 「そこまでして250円の弁当買わんでいい…」

 馬鹿馬鹿しさの八方塞がりである。500円の弁当を買うにしろ250円の弁当を買うにしろどちらでも馬鹿馬鹿しさが発動してしまうのか。

 目の前で行われている戦闘への意欲は下がっていた。確かに私は一時の甘い匂いに誘われて屈したが、見通しが甘かった。250円の弁当を買おうと、白作戦を決行しようと、決断した時の私はこの戦闘に参戦するか否かの自分のプライドについて考える余地がなかった。この人だかりの中のone of themになることを私のプライドは拒んでいた。だがもうここまで来たら引き下がれないのである。

 私は無事、鯉になった。

 

 

三章、神

 

神の存在を信じるだろうか。

私は無神論者である。勿論、この事を声を大にして言うのも変ではある。自分の足りない所を神というのを定義して補う人がいても私は構わないどころか羨みの気持ちまである。さらに言えば私だって腹痛に襲われた時は

 「助けてください、神様」

 と普段の信仰の足りなさを棚に上げて拝む。人間そんなもんである。

 出会いの無さを嘆いて出会いの神様の東京大神宮に一人で初詣行ってるなんて事をここで公表するとは思わなかったが、私はそんな恥ずかしい事もしている。そのため、無神論者であると声を大にして言うのはおかしいのである。

 しかし、私は今日神を見た。

 人だかりの中颯爽と現れ、颯爽と半額シールを貼っていく神を見たのだ。

 神は一人一人に「どの弁当ですか?」と尋ね、半額シールを貼って渡していた。

 私は涙した。

 私は浅ましかった。

 ちっぽけなプライドのせいで人だかりに入る事を拒んでいた自分自身を恥じた。

 私は愚かだった。

 「こ、この唐揚げ弁当で。」

 私の声は震えていた。それは決してこの寒空の中歩いてきたからではない。神の前で声が自然と震えたのである。

 神はにっこりと微笑み、私に半額シールの貼られた弁当を渡してくれた。

 結果、私はこの弁当戦争に勝利をした。

 買えなかった者もいた。しかし、買えた、買えなかった問わず皆の心は一つになっていた。あの瞬間、私達は固い絆で結ばれた戦友であったのだ。

 買えた者達は自分自身の事を誇りに思い、また買えなかった者達は悔しがった。

 が、その光景には何の濁りもなかった。

 私は自然とここに戻ってこようと、心の中で誓った。

 戦友達は闘いを終え、帰路についた。

 

 

 

帰り道の星空は綺麗だった。