メモ

a

執着

この執着が無くなった時期が俺には明確にある。

 

 

 

子供の頃、ポケモンをずっとしてた

 

 

当たり前の事なのだが、最初の画面で「さいしょから」を選ぶと、以前までのデータは消える

 

 

 

俺は、当時最強のポケモンマスターになるべく、強いポケモンを集めポケモンを育てるのに全神経を注いでいた。

 

 

 

 

ところが

 

 

 

物心のついた弟にデータを何度も消されるのである。

 

 

 

1回や2回とかではなく

 

 

 

 

何度も、何度も

 

 

 

自分は、怒りに怒った

 

 

 

怒りに身を任せ、ぶん殴った事もある(2才ぐらいの弟相手に)

 

 

 

それぐらい許せなかった

 

 

 

データを隠された直後はゲームを隠したり、弟の手の届かない所に保管した。データを消されないための学習効果である。

 

 

 

しかし、データを消されたという辛い記憶よりも、面倒くささの方が勝り、結果またいつもの場所へゲームを保管する事になる。

 

 

 

そして、D-day(データが消される日)がやってくるのである。(自分もアホ)

 

 

 

 

自分が今まで頑張って積み上げてきたもの

 

自分がこれまで愛情を注いできたもの

 

 

 

それらが一瞬で泡となり

 

消え去るのを何度も見てきた

 

 

 

 

弟が憎くて仕方なかった。

 

 

 

 

 

その時自分は気付いた。

 

 

 

 

ポケモンは本当に大事か?

 

 

 

 

答えは否だった。

 

 

 

 

急に何故自分がポケモンに時間を注ぐのか分からなくなったのを今でも覚えてる。

 

 

 

弟への憎しみも、ポケモンへの執着も無くなった。

 

 

 

 

 

多分これが転換点だったと思う

 

 

 

モノに執着しなくなった。

 

 

頼れるのは自分のスキルと経験のみ。

 

 

 

 

ちょっと分かり辛いか。言い換えるなら

 

自分の外のモノに執着するのをやめた。頼れるのは自分の内側のモノのみ。

 

 

 

自分の部屋はそれまで化石とか変な置物があったけど、全部不必要に思えた。

 

 

 

物を集めて満足する、といった本能が消え去った。

 

 

 

 

コレクションに走る周りの友達が理解できなかったのは鮮明に覚えてる。

 

 

 

 

親にねだるグローブとかバットも「安くてええで」、と答えた

 

 

 

高いモノ持っても仕方ない。火事で焼けたら終わり。グローブより大事なのはスキルだと思った。

 

 

 

 

以上、執着についての自分の軸

 

 

 

この軸があるから、ソシャゲなんかこれっぽっちも手を付けないし課金もしない。

 

 

 

俺がやるのはスキル重視の

 

数独(ナンプレ)、スパイダソリティア(四色)

 

のゲームしかやらない。

 

 

 

 

何が言いたいのかと言うと

 

よく分からん不必要な雑貨を物色する人間を見てゲロ吐く程の殺意を覚えるのである。

’お子様ランチ’の子の後に付いてる’様’について一日中考えていた

お子様ランチ

これは主にファミレス等で見られる子供限定メニュー

 

とは言え、お子様ランチに年齢制限はない。自分は子供と言い張れる度胸があれば誰でも頼める。その癖お子様ランチと抜かしおる。

 

私はお子様ランチというメニューについて常日頃から疑問を抱いていた。

何で様呼びなんや貴様。

日本には古来から階級を重んじる社会を構成してきたため、日本語は尊敬語、タメ語、その他等、言語に複雑性を帯びる。

年齢、芸歴を重ねれば重ねる程、また取引先等相手を立てる場面であれば我々は敬語や丁寧語を使う。

 

 

 

なのに、である。

 

子供という対象に様付けをし、大人でもお子様ランチを食べる事ができるのである。

 

 

お子様の俺様だってファミレス様に来たら牛様のお肉様で御つくりになられたハンバーグ様を頂戴したい所存であることよ

 

 

 

 

 

やめとけってー(棒読み)

小学校時代

 

 

自分の学校にはこんなルールがあった

 

 

 

 

・喧嘩は勿論してはならないが、喧嘩の野次馬も懲罰を受ける対象となる

 

 

 

だいぶ理不尽なルールである

 

 

 

 

例えば、誰かと誰かが喧嘩していた場合

 

 

 

止める(先生を呼ぶ、仲裁に入る、等)行為をしなければならず

 

 

喧嘩を傍観していたら即終わりの会で報告されて先生の処罰対象になるというもの。

 

 

 

 

とは言っても、小学生なんて喧嘩が日常茶飯事みたいなところあるじゃないですか

 

 

 

バルカン半島より戦争起こる頻度が高いエネルギー的に不安定な人間関係の中を生きぬかなければならない

 

 

 

 

そんなルールを、抜けるための策を自分は編み出した

 

 

 

 

「やめとけってー(棒読み)」

 

 

 

 

と言うのである。

 

 

 

 

 先生が来たときにこれを言うことで処罰対象を免れる作戦である。仲裁をしてるフリである。

 

 

 

 

これ、めっちゃアホな話なんやけど

 

 

 

あまりにも「やめとけってー」の発音が機械的かつ挑発地味すぎて

・気持ちがこもっていない

・先生を舐めてる

 

 

 

 

との理由で自分が結局処罰対象になったのを

 

 

なんか今日あるきっかけでふと思い出した。

 

 

 

よく分かんないきっかけでよく分かんない記憶がフラッシュバックする

 

 

 

 

俺が「やめとけってー」戦法だとしたら

 

 

 

もっとアホ戦法もあった。

 

 

 

喧嘩の仲裁に入って、喧嘩してた二人を関係ないF君がボコボコにしてしまって、F君が一番懲罰受けるっていう。

 

 

 

傍観禁止ルールを免罪符にして喧嘩してる本人に仲裁と見せかけた暴力作戦に出たF君元気にしとんかな。

 

 

 

このルールを仲裁のためならいかなる暴力を振るっても良いと解釈する子供は流石に先生も想定外やったやろな

 

 

 

 

話を戻して

あの時、俺は「先生を舐めてんのか」と先生からこっぴどく怒られたんだけど

 

 

 

あれは今思うとお前も子供舐めすぎだろ、って思う

 

 

 

あの時の自分の感情を言語化すると

 

 

「そんなふざけたルール作ってると俺みたいな奴にルールの抜け穴探されるんだからふざけたルールを早く撤廃しろ」みたいな気持ちで

「やめとけってー」って言ってたと思う。

 

 

もし、この感情が無ければ自分は先生の前で必死に熱演して「やめとけ!」って言ってたと思う。

 

 

 

でも、機械的に、先生への挑発を兼ねて「やめとけってー」って棒読みで言ってたのは以上の気持ちがあったからだと思う。

 

 

 

 

なんというか

よく分かんない記憶がよみがえったのは

 

 

 

今日も公園のベンチに座って人間を見てたら

 

 

 

同じような子供を見つけたからなんですよね。

 

 

やること皆同じなんやな、って安心した。

 

 

 

間違いなくあの子は将来ゴミになる。

勘の良いガキと勘の悪いガキ

鋼の錬金術師に出てくる名セリフに

 

 

 

'勘の良いガキは嫌いだよ'

 

 

 

 

というのがある。すまん、細かい所違うかもしれん。

 

正確なセリフ一言一句覚えてない。

 

 

勘の良いガキは嫌いだ、かもしれんし

 

勘の良いガキは嫌いだみょん、かもしれん。

 

 

 

でもググれば一発で出てくるしかなり有名なセリフだと思うんですけど(知らなかったらごめんなさい)

 

 

 

 

勘の良いガキって言うほど嫌いか?

 

 

ここで比較対象として様々なサンプルを用意してみる。

 

 

勘の良いガキ

勘の悪いガキ

勘の良い大人

勘の悪い大人

 

 

 

 

 

誰が一番ムカつくか選手権を開催します。

 

 

 

 

審査員は俺。

 

 

 

 

まず勘の良いガキの何がムカつくか

 

 

 

大人の都合が通じない所だと思う。

 

 

例えば、

 

 

「僕のお年玉はどこなの?」

「将来のために貯金してるわ」

 

 

 

という模範的なクソやり取りに対して(思い返すとはらわたが煮えくりかえる。)

 

 

 

勘の良いガキは気付く

 

 

 

これは浅はかな大人側が嫌われるような事をしてるだけで

 

 

 

普通に対一人の人間として接してたら腹立たしい場面ってあんまり無い気がする。

 

 

 

勘の良いガキ、という表現からして、ガキを見くびってるというか、下に見てるよな

 

 

 

ガキでも凄い奴は凄い

 

 

 

多分だけど実力で負けてて、年齢が上であることしか取り柄の無い人間しか言わなさそう感半端なくないすか

 

 

 

 

俺はこれあんまムカつかんと思う。

 

 

 

次、勘の悪いガキ。

 

 

 

 

順当だな、と思う。

 

 

 

「僕のお年玉どこなの?」

 

 

「将来のために貯金してるわ」

 

 

 

「そうなんだ」

 

 

 

 

可愛らしい。愛らしさ満点である。

 

 

嫌う要素がどこにあるのか。

 

 

なので、勘の悪いガキもあまり嫌いにはならない

 

 

 

 

次、勘の良い大人

 

 

 

全うに人生歩んできたんだなって思う

 

 

 

 

勘の良いガキは言われる事あるかもしれんけど

 

勘の良い大人は多分一生「お前勘の良い大人だな」って誰からも言われんセリフやと思う。

 

 

あいつ勘良いから嫌いやわ~

 

 

って言う友達おる?

 

 

 

 

俺は友達すらおらんから答えられんけど

 

 

 

 

 

次、勘の悪い大人

 

 

 

最悪でしょ。

 

圧倒的ナンバーワンで嫌いでしょ。

 

そもそもこいつ一生彼女できないでしょ

 

 

 

 

髪型変えた事に気づかないと不貞腐れるガキ「ごめ~ん、待った?」

 

勘の悪い大人「いや、待ってないよ。今日どこいく?何も予定してない」

 

 

 

 

こんな事が日常茶飯事で起こる訳である。

 

 

勿論勘が悪いから

 

 

「終電逃しちゃった…」

 

 

みたいなシチュエーションでも

 

 

「ネカフェあんじゃん」

 

 

 

って返しそう

 

 

 

 

圧倒的ナンバーワンでしょ。

 

 

多分一緒におって割とイラつきそう。

 

 

 

 

 

以上

 

 

 

勘の悪い大人が一番ムカつく説

 

 

 

 

でした。

戦闘備忘録

 ーーー人はそれを弁当戦争と呼ぶ。

 

 

目次

一章:白作戦

二章:弁当戦争

三章:神

 

 

一章、白作戦

 

 時は20XX年。初雪を観測するような日の事。私はとあるスーパーに夜食を買いに来ていた。5分も外にいれば手先がかじかむ寒空の中スーパーを目指したのは家に食材が無く、空腹で夜中眠れないことが想定されたためである。私はお腹がすくと夜泣きするタイプの人間である。普段私は自炊か外食なので、弁当を買って家で食べるなんて事は稀であった。そうしてる内にスーパーの弁当コーナーにたどり着く。すると、ある考えが頭をよぎった。

「このスーパーの閉店時間まであと30分やし、半額シール貼られるまで待った方がええんちゃうか」

と。

 そこで私は白作戦を決行する。店員にバレないよう店内をうろつき、半額シールが貼られるまでシラを切り通す作戦である。作戦は成功したかのように思えた。この後、私は私の知らない世界を知ることになる。

 

 

 

二章、弁当戦争

 

 

 白作戦を決行中、ある異変に気付く。弁当コーナーに人だかりができているのである。そう、白作戦を遂行していたのは私だけではなかったのだ。人だかりはまさに店員を今か今かと待ち構えているのである。その様相はまさに池の口をパクパクさせている鯉のようである。

「しまった、出遅れたか…」

 スーパーの客全体が敵だったことを痛感する。私は持ち前の瞬発力を生かし、人だかりをかきわけ最前列を確保する。私はほんの軽い気持ちだった。

 「同じ中身の弁当を500円と250円で売っていたとして買うとしたら?」

この問いに対して、人は普通250円の方を選ぶだろう。それもそのはず。わざわざ高額を払うなんて馬鹿馬鹿しいのである。

 しかしこの時の私の感情はまた違うベクトルの馬鹿馬鹿しさを感じていた。

 「そこまでして250円の弁当買わんでいい…」

 馬鹿馬鹿しさの八方塞がりである。500円の弁当を買うにしろ250円の弁当を買うにしろどちらでも馬鹿馬鹿しさが発動してしまうのか。

 目の前で行われている戦闘への意欲は下がっていた。確かに私は一時の甘い匂いに誘われて屈したが、見通しが甘かった。250円の弁当を買おうと、白作戦を決行しようと、決断した時の私はこの戦闘に参戦するか否かの自分のプライドについて考える余地がなかった。この人だかりの中のone of themになることを私のプライドは拒んでいた。だがもうここまで来たら引き下がれないのである。

 私は無事、鯉になった。

 

 

三章、神

 

神の存在を信じるだろうか。

私は無神論者である。勿論、この事を声を大にして言うのも変ではある。自分の足りない所を神というのを定義して補う人がいても私は構わないどころか羨みの気持ちまである。さらに言えば私だって腹痛に襲われた時は

 「助けてください、神様」

 と普段の信仰の足りなさを棚に上げて拝む。人間そんなもんである。

 出会いの無さを嘆いて出会いの神様の東京大神宮に一人で初詣行ってるなんて事をここで公表するとは思わなかったが、私はそんな恥ずかしい事もしている。そのため、無神論者であると声を大にして言うのはおかしいのである。

 しかし、私は今日神を見た。

 人だかりの中颯爽と現れ、颯爽と半額シールを貼っていく神を見たのだ。

 神は一人一人に「どの弁当ですか?」と尋ね、半額シールを貼って渡していた。

 私は涙した。

 私は浅ましかった。

 ちっぽけなプライドのせいで人だかりに入る事を拒んでいた自分自身を恥じた。

 私は愚かだった。

 「こ、この唐揚げ弁当で。」

 私の声は震えていた。それは決してこの寒空の中歩いてきたからではない。神の前で声が自然と震えたのである。

 神はにっこりと微笑み、私に半額シールの貼られた弁当を渡してくれた。

 結果、私はこの弁当戦争に勝利をした。

 買えなかった者もいた。しかし、買えた、買えなかった問わず皆の心は一つになっていた。あの瞬間、私達は固い絆で結ばれた戦友であったのだ。

 買えた者達は自分自身の事を誇りに思い、また買えなかった者達は悔しがった。

 が、その光景には何の濁りもなかった。

 私は自然とここに戻ってこようと、心の中で誓った。

 戦友達は闘いを終え、帰路についた。

 

 

 

帰り道の星空は綺麗だった。

 

 

最近のマイブーム

猫が鼠を狩って息の根止めて食べる動画をYouTubeで見るのにはまってる

 

 

 

 

謎の中毒性がある

 

 

 

 

獲物が鼠の場合、

狩して捕まえるやん

 

そこから鼠の息の根を止めるまで遊ぶねん

 

 

逃がしてまた捕まえて、みたいな

 

 

 

鳩とか雀は一度逃げられると捕まえるの難しいからすぐ殺すっぽい

 

 

 

 

鼠の動画の方が楽しい

 

 

 

 

 

あと肉だけ食べるとかじゃなくて丸飲みやねんな

 

 

 

 

硬そう